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20年目の思うこと

今回はポケモンのPT紹介ではないです。ただ、20年生きてきた人間の感想文になります。



①20歳になったけど何も無い
僕は先月20歳になった。節目なのでこれまでの人生を振り返ろうと、小、中、高専と長い間学生生活でのいろんな出来事を思い出した。…しかし、無い、どこを思い返してみても無いのだ。周りの目を気にせず、自分を捧げてまで打ち込みたいものが。

僕は甲子園をたまに見る、TVに映っている球児たちは皆、地区予選を勝ち上がったエリートだ。その中にはプロになるような奴もいて、しかも全員18歳以下の野球が好きで好きでたまらない人間だ。こいつらは野球に何年も打ち込んで甲子園まで来たのだ。
甲子園だけじゃない、ニュースを見てもTwitterを見ても、同年代の人間が輝かしく成長し、世界に挑戦している。近くだっていい、学校での成績がいいやつ、課外活動で優秀な成績を収めたやつ……表彰されたり注目を集める格好良い人間は全員、なにかしら努力をしている。

……それで僕はどうだろう、20年、いやここ5年間でもいい、何をして何を得た?成長はあったか?
何が「はぁ~?気合玉当たらんのかい!!」だ。急所を引かれて温まっている場合じゃない。ましてやボルトロスにマスボを投げている場合でもないんだ。自分を磨き、教養を深め、人に感謝されるようなこと、人に誇れるようなことを身につけなきゃ成長すらできない。
こういう話を人にするとだいたい
「え?有名にならなくても、自分が幸せだと思えればよくない?」
という趣旨の答えが返ってくる。正論だ。

しかし捻くれている僕はこうも思う、何かを消費するだけの一生でいいのか?

僕はゲームやスポーツ、仕事は突き詰めれば"作業"だと思っている。(良い意味でも悪い意味でも)
仮に社会人になり一定の収入を得たとしよう。そこでする仕事はなんの興味もない辛いだけの仕事だったとする。1日だけならいいかもしれない、しかし毎日、40年かそれ以上、その"作業"を続けると思うと辞めてしまいたくなる。僕がこうなったら辛さを忘れるために多分娯楽に身を沈めてしまうだろう。そうやって得た収入を仕事や現実の辛さ、面倒さを忘れるために使うのだ。悪いことだとは思わないが、僕はこれに気づいたとき虚しさや劣等感を感じた。何かに負けている気がしたのだ。仮に世の中を大別するとしたら、こんな風に"辛さを忘れるように娯楽を消費する"だけの人か、"何かを産み出す楽しさ"を知る人の2つに分けられる。
世の中に両方必要なのか知らない。ただ、僕はできるだけ多くの時間を"楽しく"生きたいから後者になりたい。


②考えてゲームをしよう
何かを創造するにはテンプレートに嵌ってはいけない、むしろテンプレートを創りだすことが創造だ。型にはまった定石を学ぶのはとても良いこと、けれど自分で考えず定石に使われていては一生創れやしない。ゲームで新しいメタ構築を打ち出す人は周りから批判されたり、逆に賞賛されたり、とにかく話題になっているし、よく失敗もしている。僕もポケモンの構築でも誰かが作ったセオリーではなく、自分の定石を心掛けている。でも人間なんで、かったるいとき、とりあえずPTにガブリアス入れるし、思考停止猫騙ししちゃうときもある。でも、この作業で得られたことは運勝ち以外何にもなかったし、刺さったゴツメがめちゃくちゃ痛かった。僕は考えてゲームをすることは自分の成長につながると考えてる。ゲームの結果を自分の知識にするには、目的を持ってゲームをすること。実験的に、比較できるように、検証することでPTや構築を深く知ることができそれが次の結果につながるからだ。



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